素晴らしい会の後に、急いで神戸元町に打ち合わせ。

半田さんとコラボが、JUNさんとのコラボに決定。

JUNさんとは、ある意味今回が直でした。

確か、三年前まだまだwork稼業で生きていたころ、中崎町の天然芸術劇場でworkを何度かやり、その時にミナルちゃんと言うダンサーに、この劇場の設立者で尚且つ舞踏家のJUNさんを照会されました。

僕もまさかこのタイミングで逢うかと、ビックリ仰天。

始めは全くお互い気づきませんでしたが、中崎町のと言う照会から一気に記憶が、甦りまして僕が先に思いだしました。

中崎町と言えばJUNさん。

大阪のグローバルマネー経済が押し寄せる事で、過疎化して開発が突然ない空洞化した街が中崎町。

しかし、そこにはお地蔵さんが円形で、何かを守るかのようにあり、その謎解きとこの取り残された街を全く新しく生まれ変わらせたいと、JUNさんはアパートに住まわれながら、徐々にカフェや劇場や映画館を作りながら、様々な活動を企てていくうちに、彼に魅力を感じた若者が、1品モノを作るアパレルや個性派のカフェや1品モノを作る小物artistが廃屋化したアパートに住ながら店舗に改装して、いつの間にか素晴らしい個性派の街になりました。

僕はまさに、中崎町に未来の里山の可能性を感じていきました。

だから、当時の横浜のスタジオに、この中崎町と山形の部落を、いつの日か姉妹村にしたいと、彼が造り上げた中崎町街と日本の部落がコラボ出来る日を夢見てこの街の地図を張り出していました。

三年か四年前の話し。

いつか妻やスタッフにも、この中崎町を見せたくと感じながらも、今の活動を推し進めることで、先ずはホームグラウンドの黒伏山が新しいネオ縄文村になるように活動している忙しさの中で、良い意味で無意識化の中に、このJUNさんや中崎町のキーワードは、しまいこまれていました。

そしたら、僕がホームグラウンドに様々な方々や、サポーターさんが来られ、様々な民の活動をガンガンやりはじめ、自立化してきたまさに今、再会されコラボ講演会が決まり、中崎町と泉郷の姉妹村も一気に話が盛り上がり、又々神計らいで実現化に向けて勝手に動き出したのでした。

なんと言うことかしらん。

本当に大阪、京都、神戸は間違いなく、東北の部落と繋がり、預かる水源地も見事に全てが、この三都市の中にあるネオ縄文と繋がり、各水源地全てが一万のサポーターを持つ、点在型村街美💋チュッの十五万多島海的な姉妹村街コミューンに、一気に急加速して出来上がって行きだしました。

なんと言う、時間の流れでしょうか。

本当に速い。

正直に生きるとは、本当に様々が与えられて行きます。